東京高等裁判所 平成8年(う)1589号 判決
被告人 平野精一
〔抄 録〕
一 そこで検討すると、関係証拠によれば、本件覚せい剤の発見、押収の経緯は概略、以下のとおりであったと認められる。
(一)平成七年一一月三日午前四時三〇分ころ、千葉県木更津市下郡に居住する山田正通は、公道から自宅に通じる私道内に普通貨物自動車が停車しているのを見付け、窓の外側から運転席の被告人に対し、この先は行き止まりだから出て行くように告げたところ、被告人は、「世の中が俺を悪者にする。」、「悪い奴に追いかけられている。」と支離滅裂のことを言うなど不審な挙動を示したので不安になり、一一〇番通報のため家に戻ると、被告人が追いかけてきて、一緒に家の中へ入って来ようとするので、押し戻し、玄関を内側から施錠したところ、外から呼び鈴を押し、意味不明のことを大声で喚いていた。(二)午前四時五五分ころ、山田方から通報を受けた警察は、所轄交番への連絡及びパトカーの手配をし、午前五時二五分ころ、交番勤務の中村元巡査、自動車けいら隊配属の中村警部補及び安藤秀巳巡査が現場に到着した。(三)警察官らは、山田から事情を聴取したうえ、被告人に職務質問を開始したところ、本名を答えたが、以前覚せい剤の被疑者として取り扱った面識のある男であり、「車は自分のもので、ここまで運転して来たが運転免許はない、この家は知らない家だが、車が故障したのでここで寝ようと思った。」などと曖昧なことを言い、酒臭も感じられないのに、その挙動に不審な点があり、周囲をきょろきょろ見渡すなど態度に落ち着きがなかったことに加え、覚せい剤事件の前歴を知っていたことから、覚せい剤の使用ないし所持の嫌疑を抱いた。そこで、被告人の承諾を得て、私道を塞いでいた本件車両を中村警部補が運転して十数メートル移動させ、パトカーの付近に停め、助手席のドアを開けて、中村警部補と安藤巡査が本件車両の運転席及び助手席付近を一瞥したけれども、覚せい剤等の薬物らしいものは見当たらなかった。(四)さらに、助手席側の開いたドアと車両の間に立っている被告人に中村巡査が所持品を見せるように言ったところ、被告人は、何も持っていないなどと言ったが、左足を引いて、右足の後ろに隠すような不自然な態度が認められたので、中村巡査は、所持品検査を行う旨を告げたうえで、両手で着衣の上から順次触れていったが、被告人は特段拒否する態度はとらなかった。すると、被告人の両足首の辺りが何か入っているように膨らんでいたので、同巡査が中の物を出すように言うと、被告人は右足の靴下の中からライター一個を取り出した。さらに同巡査が左足の靴下に触れたところ、紙でくるんだ長方形の物が入っているように感じたので出すように言ったが、これに応じないので、靴下を下げることの承諾を求めたところ、無言で両手を広げて肩の辺りまで上げて見せたので承諾したものと受けとめ、靴下の上端を数センチ下げたところ、ビニール袋に入った白い結晶様のものがあったので、「これは何だ。」と尋ねたところ、被告人は、「何でもねぇ。」などと言いながら、いきなり靴下の中からこれを取り出し、右手で放り投げるような動作をして、助手席に仰向けに倒れ込んだ。同巡査は、その時白い粉が舞ったのを認めたので、まだ持っているのではないかと考え、被告人に覆い被さるようにして、その右手を押さえようとしたところ、急に暴れだし、左手を同巡査の身体にかけたり、足をばたつかせたりして抵抗したため揉み合いになったが、安藤巡査と協力して被告人の両手を後ろ手にして手錠を掛けた。(五)その後、安藤巡査が本件車両の後部座席及び荷台付近を点検し、同日午前六時ころ、本件車両の運転席後部座席に手錠を掛けたままの被告人を乗せ、助手席後部座席に中村巡査が同乗し、中村警部補が同車を運転して、午前六時一二分ころに木更津警察署に到着し、そこで、被告人の手錠を外した。(六)同署において、被告人と応対した保護担当宿直警察官である佐藤巡査部長は、覚せい剤を車内に所持している疑いがあることを中村巡査から聞き、被告人に対し覚せい剤を所持しているのなら任意に提出するように説得したけれどもこれに応じなかった。そこで、同巡査部長が「何もないのなら車の中を見るぞ。」と言ったところ、被告人が承諾したので、手分けして本件車両を点検したところ、助手席の下付近に覚せい剤らしい白色結晶状粉末が入ったビニール袋を発見して収集し、試薬試験をしたところ、覚せい剤特有の反応が出たので、同日午前六時二四分に、覚せい剤所持罪の被疑事実により被告人を緊急逮捕し、右覚せい剤を押収し、さらに、本件車両の助手席のマットの下付近から注射器及び注射針をそれぞれ押収した。(七)その後、本件車両内になお覚せい剤が隠匿されている疑いがあったので、同月六日に捜索差押許可状の発付を得て本件車両内を捜索し、後部座席のマットの上に散乱している覚せい剤の結晶状粉末、そのマットの下から同様の粉末が入っているビニール袋一袋を差し押さえた。
なお、被告人は、右(四)について、原審において、「山田から文句をいわれた後、車の中に戻り、コンソールボックスから煙草とライターを取り出して煙草を吸い、ライターは右足の靴下の中に入れたが、その折、コンソールボックスの中に、ビニール袋に入った覚せい剤を偶々見付けた、覚せい剤がそこにあること自体まったく知らなかったし、これは自分のものではないのだが、パトカーが来たので、とっさにそれをライターと同じ靴下の中に入れた、車の移動後、中村巡査にいきなり所持品検査をされた時に、右足からライターを出し、それと一緒に覚せい剤も出して、覚せい剤だけ田んぼかどこかに捨てたが、同巡査は気付かなかったと思う、捨てようとした時に白い粉が舞ったなどということはあり得ない、自分は所持品検査を拒否して中村巡査と押し問答になり、手を掴まれて、いきなり車内に押し込まれ、手錠を掛けられた」旨供述し、また、当審では、右のうち、覚せい剤を捨てた状況について供述を変え、「自分と中村巡査が道路に停まっているパトカーの方へ歩いていく途中で、警察官が移動させようとした自分の車が背後から近づいて来たので脇に避けたが、同巡査から何か持っていないかと質問され、靴下からライターと覚せい剤を取り出し、左手でライターを見せ、右手に覚せい剤を隠し持ち、後ろから車が来た時に、警察官にわからないように田んぼに捨てた。」旨供述する。しかし、警察に一一〇番通報をした山田の原審証言によれば、同人が、移動後の被告人車両の直近に立っていたところ、警察官が、突然、「ふざけるんじゃない」と大声で怒鳴り、「何か左手に隠しているんじゃないか」と言いながら、被告人と揉み合い、被告人が車の助手席に倒れてゆき、警察官も車内へ入っていった、警察官が被告人を倒したというよりも、被告人が逃れるように自分から助手席に倒れた感じであったというのであり、安藤巡査の原審証言によれば、本件当日、木更津警察署に着いた直後、同巡査が本件車両の内部を見分したところ、助手席の下に粉が散らばっており、ビニール袋入りの白い粉を発見したというのであって、これらの証言が所持品検査に当たった中村巡査の言い分と符節がよく合うことにも照らすと、被告人の言い分のうち、同巡査から所持品検査を受けた状況、これに引き続き手錠を掛けられた経緯に関する部分は信用し難いといわなければならない。
二 以上認定した事実に基づき、本件覚せい剤の証拠能力について検討する。
山田方私道上において、中村巡査ら警察官が被告人に対し職務質問を行ったについては、一一〇番通報を受けた経過及び山田からの事情聴取の内容、被告人の挙動及び当時既に判明していた覚せい剤事犯の前科歴等から、被告人が覚せい剤の使用ないし所持の罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があったと認められ、それに伴い行った本件車両内の点検及び被告人の所持品検査も、ドアを開けて車内を一瞥し、被告人の黙示的な承諾を得たうえで、着衣の上から触わり、靴下を少し下げるなど捜索に至らない程度のものであって、その検査方法も相当であると認められるから、任意捜査として違法な点はない。
次に、被告人がその靴下の中に隠していた覚せい剤らしい物を放り投げる動作をし、本件車両の助手席に倒れ込み、警察官らが被告人に覆い被さるようにして被告人の右手を押さえようとした行為及び抵抗する被告人を制圧し手錠を掛けて木更津警察署に連行した行為については、その意思に反して強度の有形力を行使して被告人の行動の自由を奪ったものであって、右行為は、警察官職務執行法二条一項所定の職務質問に附随する行為として許容限度を逸脱したものというべきである。警察官らの言い分によると、被告人の身柄を拘束したのは、被告人が興奮して暴れ、自己又は他人の身体に危害を及ぼすおそれがあったために同法三条により保護したというのであり、その手続も踏まれたのであるが、被告人は、当初は警察官の質問や所持品検査に対し平静に対応していたし、また、手錠をかけるとすぐ抵抗を止めたのであるから、被告人が暴れたのは、覚せい剤を捨てようとしたところ、警察官が遮ろうとしたので、これに反抗したためであったと認められるのであって、緊急の保護を要するような状況にあったとは認め難く、同法三条所定の場合には該当しないというべきである。
しかしながら、それまでの不審な言動及び前科などから、被告人が覚せい剤を使用又は所持している疑いが濃厚であったうえ、所持品検査中にそれまでおとなしかった被告人が急に抵抗し出し、手にしたビニール袋入りの白色結晶様のものを放り投げようとしたことからすれば、右時点においてこれが覚せい剤であることはほとんど疑う余地がなかったということができる。そうすると、被告人のそれまでの挙動や覚せい剤を捨てようと図った行動などに照らし、この時点で被告人を覚せい剤所持罪の現行犯人として逮捕することが可能であったのであり、被告人を押さえ込み、手錠を掛け制圧した警察官らの行動は、刑事訴訟法上の逮捕行為としては相当であったと認められる。本件では、警察官らは、右発見にかかるビニール袋入りの物が覚せい剤であることを試薬を用いるなどして確認できるまでは任意捜査で対応しようとしていたため、被告人の突然の証拠隠滅行動にあって、とっさの判断で、右の制圧行為に出たものと認められるのであるが、先に検討したとおり、本件では同法三条所定の保護の要件を欠いたけれども、そこに令状主義潜脱の意図は認められず、現行犯人逮捕の要件は備わっていたうえ、現実にも身柄拘束から数十分後には適式な緊急逮捕の手続きがとられている。そして、職務質問の現場における身柄拘束の時点から起算しても、現実に履践された検察官への送致手続及び勾留請求手続は法令に定められた制限時間を超えてはいない。
これらの事情を総合考慮すると、質問現場での身柄の拘束は、現行犯人逮捕の実質を備えており、ただ身柄拘束の法的手段の選択を誤ったに止まるということができる。そして、木更津警察署駐車場において、佐藤巡査部長らが本件車両の中を点検し、覚せい剤を発見収集した行為についても、本件が職務質問の現場で現行犯人として逮捕可能な場合であったこと、右現場は早朝の道路上であり、その場における車両の捜索には適当な場所でなかったことに加えて、身柄拘束の開始から約半時間以内に被告人の承諾を得た上で行われたなどの事情が認められるのである。このように検討してくると、職務質問に引き続く被告人の身柄の拘束、本件車両内部の探索には、刑事訴訟手続上の違法があるけれども、その違法性は、本件押収物の証拠能力を排除しなければならない程のものではなかったというべきである。また、その後一一月七日に押収された覚せい剤は、新たに発付を受けた捜索差押令状に基づく適式な捜索によるものであって、その手続きに違法はない。
(高木俊夫 岡村稔 長谷川憲一)